山本五十六氏の名言から思い出したこと。
ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
好きな言葉です。
時代がどんなに変わっても
不変的なものはありますね。
時代の流れと共に
変えていかなくてはならないもの
時代がどんなに変わろうとも
変えてはならないものがあります
私は子供の頃から
礼儀に対して両親から(特に父親)
厳しく躾られました。
親が商売を手広くしていた関係もあり
礼儀に対してはものすごく厳しく
指導を受けました。
「挨拶し過ぎて怒る人はおれへん・・・」
確かにそうですね。
仮に照れ臭くて
隠れられること、目を合わせないことがあったとしても
悪い感情を抱くことはないですね。
今振り返ってみた時
父は生きる知恵を
教えてくれていたんだと
私は思います。
弟と私は鍵っ子
小学校2年生の時から
料理や家事もやっていました。
5年生の時
新しく焼肉屋をオープンし
そのお店で一緒に住めるようになり
鍵っ子でなくなったものの
学校から帰ると
山ほど積み上げられたモヤシの尻尾切り
それが私に毎日与えられた仕事でした。
今想像しても
豆モヤシの豆臭い匂いが
思い出されます。
今は大好きな豆モヤシですが
あの時は見るのも
匂いを嗅ぐのも嫌でした。
たらい一杯の豆モヤシの
尻尾を手で切るのが
私に与えられたノルマなのです。
皆がピアノや
バレエを習っていたりする中で
私は毎日モヤシの尻尾切り・・・
流石に嫌で嫌で
でも嫌と言えず
ついに扁桃腺がはれ
高熱が出たのです。
その時初めて
うなされながら
「お母ちゃん
私な、もうモヤシの尻尾切るの嫌や・・・」
と言えたのです。
今はハサミを使って
モヤシの尻尾をバシバシ切りますが
当時はモヤシは刃物を嫌うと
手で尻尾(モヤシの髭)を切っていたのです。
小学校の時から商売の手伝いをしていたからこそ
今ごろになって得したなって思うことがたくさんあります。
なぜ、この話をしているかと言うと
例えば未経験のことを
実行するとした時
やはり最初は誰かがモデルを示してくれる
所謂 見本を見せてくれます。
私で言うと、
包丁の持ち方やモヤシの尻尾の切り方
その後担当が変わり
きんぴらごぼうの下準備が
私の仕事に役割となりました。
きんぴらごぼうのニンジンとゴボウの切り方含め
やはり母がモデルを示し、それを真似ることになります。
学ぶの語源は真似ぶ
真似からのスタートです。
そして
見よう見まねでチャレンジする
母は誉め上手でした
包丁を使ってきんぴらごぼうの準備をする際も
「あんたは上手に切るな
大きさや長さがちゃんと揃っているな
お母ちゃんよりも丁寧やな・・・」
と結局誉めているのです。
その誉め言葉に調子にのって
家の手伝いを頑張ったのだと
今朝ふと思い出しました。
誉めること
成長を見守ること
信じること
大切な教えがたくさんありました。
礼儀を厳しく躾られたのは生きる知恵
礼儀正しい人は敵を作りにくい
それを体得させてもらったのです。
私は雑用と言う言葉を使ったことがありません。
私の概念に雑用はないからです。
雑にするから雑用
仕事に、いい仕事も悪い仕事もない
目の前に与えられた仕事を
懸命にやりきる
どんな責務が与えられても
手を抜かず懸命に頑張る
だからこそ
次の仕事が与えられる
「お金を追うな
仕事を追え
仕事を追うと必ず結果が
後からついてくる
収入はその後だ!」
と教えてくださった
人生の先輩に感謝します。

今日の一言
『人生に無駄はない。
単純なことに意義と価値を見い出せた人だけが、
素晴らしい仕事観・価値観を手に入れることができる。』
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